東亜学園高等学校 > トピックス > 週刊朝日(2003年12月5日増大号・11月25日発売)に本校の紹介記事(日本の名門高校ベスト100校 )が掲載されました。

週刊朝日(2003年12月5日増大号・11月25日発売)に本校の紹介記事(日本の名門高校ベスト100校 )が掲載されました。

    週刊朝日(2003年12月5日増大号・11月25日発売)に本校の紹介記事(日本の名門高校ベスト100校)が掲載されました。

    asahi 週刊朝日2003(平成15)年12月5日号(11月25日発売)

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    不動の地位を占める名門私学
    近年、私学の勢いはますます盛んで、伝統ある公立学校をも凌駕するほどである。その理由として、大学進学を人生設計の第一歩として重視する進路指導と、社会の負の風潮に流されず自主・自律を尊重し、規律・秩序を守らせる生徒指導との二本柱を基にした、知・情・意・体の調和のとれた全人的な教育指導が、公立学校のそれに比べてしっかりしている点をあげる人がいる。しかし、公立学校と比べて何よりも異なる点は、私立学校には歴史に名を残すような優れた創立者の、自由で強固な建学の信念が存在していることであろう。そして、その信念を背骨として、そこに学ぶものにかって旧制高校生が抱いたであろう理想と夢にも近い目的意識を持たせようとしていることである。他方、今日の私学の台頭を、公立学校における質的変化と相対的にとらえる考え方もあるが、むしろ学校の存続をかけた私学の教職員のたゆまぬ努力の成果としてとらえるほうが正しいように思われる。私学には、広く各地から集まる生徒達に対し、孟子のいう「天下ノ英才ヲ得テ之ヲ教育スル」楽しみを大切にする一方、さらに生徒たちの人格と陶冶と能力の開発に全力を傾注することにより、数ある学校の中から自校を選択した生徒・保護者の付託に応えようとする義務感と責任感にあふれている教職員が多い。不透明・不確実の時代といわれる今日、保護者がそうした教職員の努力に一層高い信頼をおくのも当然である。
    main_img1 ここに、日本の名門高校ベスト100私立学校編を編み、近現代の日本の発展に貢献し、今日、不動の地位を占めている名門私学を挙げ、不易の建学の精神が具体的な形となって表れている校史を綴って、百校が堂々と相対峙し少しもたじろがぬ私学それぞれの校風を明らかにしようと試みた。私学には、校訓、名校長、名物教師、生徒の己を失わぬ矜持、厳しい学習やスポーツ活動を取り巻くドラマ、青春の思いのこもる校舎・校庭など、多くの物語がある。また学校を支援する同窓会があり、後援会があり、保護者会があり、地元住民がいる。これらは、多くの場合、私学の持ち味であって、公立学校の比ではない。そして、これらの持ち味の一つ一つが、私学に学ぶ生徒たちにとって、青春の高い志と夢を託すに足る学びの場になっていることは確かである。

    (シリーズ巻頭言)

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    • 創立者 寺本 伊勢松
    • 創立者四要諦
    • Ⅰ. 自由な精神を持ち独立心旺盛な人間の育成
    • Ⅱ. 強固な意志を持ち華美流行に流されない人間の育成
    • Ⅲ. 利他の心を持ち常に努力する人間の育成
    • Ⅳ. 視野展望を世界に向ける人間の育成
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    • 理事長 本宮 誠之
    • 昭和29年に勤務して以来、東亜学園一筋の教育者生活。40年校長に就任し、特色教育をつぎつぎと打ち出し、全国から注目されてきた。
    • 60年6月理事長就任。平成6年6月校長勇退。
    • 中央大学法学部卒、昭和10年生まれ。趣味は囲碁、ゴルフ、絵画、柔・剣道三段。
    • <対外活動> 元全国商業高等学校協会副理事長現顧問・元日本私立中学高等学校連合会常務理事、元日本私学教育研究所理事、元東京都私学振興会幹事
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    • 校長 野中 浩二
    • 今は目的の見えにくい時代といわれます。かつては「勉強さえしていればいい」という時代があり、その背景には「いい学校→いい会社→いい生活(結婚)=幸福」という図式がありました。ところがバブルがはじけて “いい会社” といわれた企業が次々に倒産し、”いい学校” を出たからといって図式通りにいかないことが分かってきました。その反動として「勉強などしなくていい。好きなことをやればいい」という風潮が生まれ、将来のために努力する姿勢が軽んじられるようになってきました。しかし「個性を活かし好きなことをやれ」といわれても、特別な才能を持たない人やその才能を見いだしていない人は何をすればいいか、わかりません。自分とは何か、何をしたいのかの答えを見いだせないままでは、フリーターになるしかありません。
    • 最近では一部の高校を中心に再び進学重視の動きが起こっています。しかし多くの若者は、「何のために勉強するのか」ひいては「何のために生きるのか」へのしっかりした議論がなされないままに「勉強さえしていればいい」という図式に疑問を持ち「勉強なんかしなくても」という風潮にも困惑しているのです。
    • 時代は今、脱工業化・高度知識(情報)化、モラルハザード(倫理崩壊)化への変化の予兆を含みながら、一方でその変化の速度・規模が予断困難であることから、更なる混迷も予測されております。
    • 本校では、このような時代状況の中で、社会的存在として主体的に生き、思考し、判断し行動できる人間を育成すべく、人間力を培う教育を、進学にも対応できる実力養成教育と平行して展開しております。そして高等学校での生活を「何のために勉強するのか、自分の将来やりたいことは何か」さらには「自分とは何か、他社や社会は自分にとってどんな存在か、利己と利他の相克をどう克服していくべきか」などを考え、ディベートし体得していくための人生の揺籃(ようらん)期としての三年間にしたいと考えております。その具体的な教育展開が、土曜日をノーテキストデーとした “ホームルーム文化教育” であり、真の実力養成の “無学期制と警告試験制度” であり、集団訓練から洋上修学旅行までの一連の学校行事であり、校技としての弁論・武道であり、更には図書館授業なのです。
    広く世界に活躍する有為な人物の育成
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    創立80周年記念校舎

    • 東亜学園生は何のために勉強するのか
    • 最近の生徒は「何のために勉強するのか」という問い掛けのないまま、従来の「勉強さえしていればいい」という図式に疑問を持ちながら「勉強などしなくても、好きなことに打ち込んだほうがいい」という主張にも困惑している。本校の教育はその問い掛けに答えを見つける教育である。野中浩二現校長のこのメッセージは、現代の社会状況を見据えそれに適切に対応しようとする東亜学園高等学校の教育理念を簡潔明快に示したものと思われる。
    • 確かにいい学校を出て入った永遠不滅の一流企業の終身雇用制はエリートとしての人生の幸福につながったが、近年そこに陰りの諸現象が見えはじめ、苦労して勉強などしなくても、もっと自由に自分の能力・適性を生かせる仕事についたほうがいいという考えが生まれた。これは本来学歴に頼らず一芸に秀でた腕一本の生き方を意味するものであったが、実際はフリーターの増加などという現象をもたらし、将来のためまじめに努力するという姿勢が軽視される風潮を生み出した。このことは人生における勉強の意義を自覚できないところに起因すると思われる。人の生きる目的は職業について自己の生きがいを支えかつ他者に貢献するところにある。職業につくとは自分のやりたいことを見つけることであり、そのためにはまず己を知ることである。校長の言う教育の理念もつまるところ一人ひとりの生徒に勉強によって己を知らしめることにあると言うことができる。
    • 他人には親切丁寧、自己は奮励努力する
    • 東亜学園高等学校は、大正12年甲種実業男子五年制の東亜商業学校として現在地東京都中野区上高田の地に設立された。戦後、野方学園高等学校、東亜商業高等学校を経て昭和50年現校名となり、同57年には普通科に男女共学制を採用、創立80周年記念事業として平成13年に着工した新校舎が翌年完成、今日に至る。この間、6人の理事長、10人の校長のリーダーシップの下、熱心な教職員、保護者の力を得て教育環境の整備・拡充、多くの特色を持つ教育内容の充実が進み、既に21,000余人の卒業生の中から各界に活躍する多くの人材を輩出し、東京都における私学教育振興の一翼をも担ってその存在を確かなものにしている
    • 野方商科学校という小さな学校に私財を投入して条件を整え、中学校(旧制)卒業の資格を取得できる甲種学校としての東亜商業学校を創立した寺本伊勢松初代理事長・校長は、校内雑誌「東亜」創刊号(昭2)の中で農耕の大事に触れ、青年の尊さは一粒の種の成育にも似た無限の可能性にあるとして、刻苦勉励こそが青年の踏むべき道であると説いた。校長は40年にわたる教育実践の中で培った教育理念を、今日に残る「自由な精神を持ち、独立心旺盛な人間の育成」など四要諦にまとめ、「他人には親切丁寧、自己は奮励努力する」を校訓として掲げた。実はこの言葉、明治近代産業振興の先駆者渋沢栄一が校長の教育理念に共鳴して贈ったというもので、論語に通暁(つうぎょう)していた渋沢は「己ニ克(か)チテ礼ニ復(かえ)ルヲ仁ト為ス」の意を短く平易に述べたものと思われる。この校訓には同じく渋沢から贈られた「東亜」の校名とともに、克己(こっき)心をもって自己の可能性を開発し、世界へ雄飛しようとする意欲と自立心を涵養(かんよう)し、奉仕の精神を尊重する若者を育てたいとする願いが込もる。校訓というと格調高い漢語を思い浮かべるが、実業界に君臨した渋沢が吐露した平易な中に含蓄のある言葉は寺本校長によって生徒の心に深く根を張り、語り草として卒業生の心の支えにもなっている。創立当時は西武線も単線で田無駅辺りまでしか開通しておらず、学校周辺もわら屋根の農家を囲んで麦畑や菜畑が広がり、時折肥の匂いが漂ってきたという。創立から6カ月後に関東大震災があった。
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    HR文化教育(ディベート)
    • たった一人になっても学校を再建するぞ
    • 大正13~4年ごろ、当時中佐であった開戦時の首相東条英機が本校の配属将校として軍事教練の指導に当たったことがある。昭和20年5月24日夜、米軍の大空襲があった。たまたまその日宿直であった本宮昇教諭(後の理事長)は炎上する校舎を、当時輪番で警戒のため学校に宿泊していた生徒20人とともに避難し、2キロしか離れていない自宅の妻と乳飲み子の無事を祈りながら駅の線路の上で朝を迎えた。校舎の焼失は他の悪条件とも重なり学校の命運を極限状況に追い込むことになる。
    • 昭和25年9月、悲壮な決意を胸に都の学事部を訪れた本宮がそこで見たものは、卒業のアルバムに写っていながら卒業証書を焼失したため卒業証明が得られず帰っていく若者の後ろ姿であった。卒業生を無籍者にしては相済まぬ、懐の廃校届を破り捨てた本宮は校印など一切を引き取り、正式に常務理事を名乗りたった一人になってもやるぞと決死の覚悟で学校再建に取り組んだ。廃屋同然の校舎・校庭での校長代理兼教員兼用務主事の本宮の一途な突進は、昭和28年5月の何とかこぎ着けた本館の竣工を突破口として明るい展開を見せ始める。だれも気づかなかったが奇しくもその日は何のお祝い事もない創立30周年記念の日であった。本宮は正月の二日間以外はきちんと学校へ通い続けた。近所の商店主から「本宮先生が通ったから何時だ」と言われるようになった。生徒会が結成され学校祭・運動会・修学旅行が始まって諸規定、生徒心得が出来、学校組織、教育内容の基盤が確立する。戦後の荒廃と苦闘をにじませた横河電気寮の移築校舎を取り壊し、四階建て20教室・体育館を有する鉄筋校舎が創立40周年記念事業として完成したのは昭和37年のことである。時に生徒1,250人、翌年ベビーブームの影響もあり989人という空前の入学者があった。
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    東友杯争奪弁論大会
    • 「厳しく教え、優しく育てる」特色ある教育
    • 本宮昇を東亜学園再建の父とするならば、時代に即した新しい発想により教育内容の充実・発展を図り、東亜学園中興の主と言うべきは本宮誠之9代校長(昭和 40年~平6)・現理事長(平6~)である。校長の「3歳までこの学校の中で育てられ、15から25の齢まで教員室の一隅に住み、学校のぎりぎりの限界から見て来たため、早くから学校経営計画を立てる必要急務を主張し、これに専念していたのである」という言葉には、存亡の瀬戸際を彷徨(ほうこう)する歳月をしのいで今日の発展を遂げた学校を担って、時代の要請に応えた教育創造により更に高きに登らんとする熱き思いが込もる。
    • 昭和58年創立60周年記念として小平校舎・第二体育館の建設、長野県茅野市に蓼科集団訓練所思静館の完成があり、阪神大震災を機に生徒の安全が最優先事項として着工された中野本校舎の全面改築が完成した平成15年5月、創立80周年記念事業落成披露式が行われ、その席上、人々は改めて東亜教育百年の計全しの感を深くした。
    • 21世紀の社会は、学校に既存の知を受動的に伝達させる学習から自ら新しい知を創造する主体的な学習への転換を求めている。誠之校長が唱えた「厳しく教え、優しく育てる」は、これを具現化した教育実践である。厳しくとは、全部理解するまで徹底して教えるということであり、優しくとは、生徒に特定の価値観を押し付けるのではなく師弟が共に考え模索する中で経験・感動を共有し、生徒自らに価値を発見させそれを普遍的な物へと熟成させることを言っている。「厳しく」の実践として、無学期制による警告試験制度やフィードバック講習による実力養成教育がある。学期のないゆとりある時の流れの中で、学習の日々の積み重ねを重視、定期試験は1・2年次の進級試験と3年次の卒業試験のみ、他に学習の定着を確認する年3回の警告試験があるが成績評価ではなく学習上の問題を見付けそれをフォローしようとするためのもので、その方法の一つに小平合宿所での二泊三日のフィードバック講習がある。「優しく」の教育実践としての東亜オリジナルの「ホームルーム文化教育」は、土曜日を教科書から離れ、小グループのそれぞれの班で年間テーマを決め、指定図書の選定・輪読を情報の収集につなげディベートへ発展させるもので、学校はクラス二人担任制を導入し多様な活動に応えている。本校には校技としての「弁論」があり、物の見方・考え方の修練、品位をもって堂々と主張する姿勢などの育成が図られ、外部の各種弁論大会での優勝者が多い。
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    80周年記念ホール
    • 知を磨き、心をはぐくみ、身体を鍛える東亜の四季
    • 本校では大学進学に重点を置き八類型のコースを設定、生徒一人ひとりの進路・適性・習熟度に即した教育課程を編成、授業の充実はもちろん年間を通じて4週間の宿泊セミナーや放課後の講習などを加えて実力の向上を図っている。その成果は四大・短大への80%以上の現役合格者となって表れている。なお体育コース(男子のみ)は、上級学校または社会に出てその特技を生かし一層の飛躍を可能にするため体力と学力の双方の伸長を図ろうとするものである。総面積 15,762平方メートルの広大な小平キャンパスでは、普通科1・2年生週1回、体育コース週2回、1コマ90分の体育・家庭科・作法などの授業が行われる。小平合宿所は80人の宿泊が可能である。「武道」は正規の授業として行われ、男子は剣道、柔道のいずれか、女子はフェンシングの1単位を必修とする。新春の「武道大会」、それに備えての寒稽古での張りつめた緊張は寒さのためだけではない。
    • 本校の教育目標は学業とクラブ活動の両立となって表れている。野球部の昭和61年、全国高校野球選手権大会に初出場、同ベスト4(昭62)、同2回戦(平 1)の快挙があるほか、優勝を含めて高校総体36年連続出場の重量挙部、全国大会常連校として優勝4回の実績をもつバレーボール部、全国高校珠算競技大会 16年連続出場の簿記・珠算部など、体育部門15、文化・学芸部門28の活躍は枚挙にいとまがない。また修学旅行は単なる物見遊山的行事に終わることなく、集団訓練に始まり戦争追体験に終わる沖縄洋上修学旅行や国際理解と平和に関する学習を一体化させた中国修学旅行によって学習を体験に定着させている。特に高3で行う七泊八日の沖縄洋上修学旅行は、豪華客船を借り切って行う優雅な洋上クルーズである。船内生活は、2年生の後期から取り組んだHR活動における沖縄研究の成果の発表や天体観測のほかゲーム大会など工夫された日課で進められる。洋上戦没者慰霊、沖縄の糸数壕での追悼、ひめゆりの塔や資料館の見学で、生徒たちは平和の尊さを実感し不戦の誓いを新たにする。紺碧の海と空と陸の中で得た沈思とロマンは永遠に忘れ得ぬ思い出を作る。なお、旅行半ばで引率教員に応援が入るなど学校の負担は大きいものがあるが、おそらく全国の高校で東亜だけであろうこの行事をいつまでも続けようと学校は心に決めている。費用は積立金制度により一時負担金を押さえるよう配慮している。また国際理解教育は中国旅行のほかニュージーランド・ウェリントン市の高校と相互交換留学制度を推進するなど一層活発化し、集団訓練は蓼科高原ロッジで行われる1年生のオリエンテーションに始まって基本的生活習慣の確立、協調性の涵養が図られている。
    • 東亜が重視する図書館教育
    • 東亜学園が21世紀を生きる人間に必須の情報教育に鋭く取り組む一方、古来から続く図書館教育を重視するところに、一般に言われる教科学習の深化とか学習の自立とかいう次元を超えて近年没落したといわれる教養主義に対する熱いまなざしがうかがわれ、学園に旧制高校の匂いを感じたと言ったら大げさだと笑われるであろうか。教養主義の復活は無理であろうが、教養について考えることは今も必要で、真の教養とは知識の所有を超えたバランス感覚のようなもの、当今負が目立つ成熟社会にあって高校改革のヒントもこの辺りにありそうである。そこを見据え「流行」にあって「不易」を忘れぬ東亜学園はすごい。